Mark McGuire / Daikanyama Unit

Mark McGuireはオハイオ州クリーヴランドのバンド、Emeraldsのギタリスト。Emeraldsはフィードバック・ノイズ、アンビエント、ドローンといったアンダーグラウンド的なディープな音、小刻みに発表するカセットやCD-Rというアプローチで注目を集め、ウィーンのエディションズ・メゴというエレクトロニカのレーベルから発表された「Does It Look Like I'm Here? 」で世界的に認められたよう。個人的にもこのアルバムで初めてEmeraldsとMark McGuireを知ったことになる。昨年からの愛聴盤「Living With Yourself」(2011ベストにも選ばせていただきました)。エクスペリメンタルとアコースティックの間を行き来するセンスが炸裂していた一枚。続く「Get Lost」ではより洗練された音紋が奏でられていたと思う。

洗練されたセンスということでいうとライヴはかなり異なるものだった。またクラウトロックの至福感やManuel GöttschingやTerry Rileyなどのミニマルな祝祭感を中心に据えていたら、それは重要な側面ではあるけど、ライヴでは、彼の多くの可能性に驚かされることになる。

本編のライヴは3楽章にわかれていて(ご本人のいい方いうと楽章は「Clip」)、第1楽章のはじまり。ギターのヴィヴィットなストロークをループでレイヤーしてゆく。リズムや遠近感が変調し、時にエレピアノのような音とかアルカイックな要素が印象的。マシーンを使っているといってもめちゃくちゃ演奏していて感動。ストロークする右の二の腕のアルカイックな美しさにも感動(・・・失礼しました)。

今回のライブの白眉はこの第2楽章だったと思う。昨年みた「ニーチェの馬」(監督タル・ベーラ 公式サイト:http://bitters.co.jp/uma/)という映画を覆っていたような暴風が吹き荒れる。いつ止むのかもわからないようなすごさだ。それが遠ざかると、スペース・インベーダーとテトリスが混ざったようなレトロで懐かしい電子音が弾ける。追いかけっことかとびこみっこをしている感じ。しばらくしてベースをもったマーク。えぐるようなベースの重低音がフロアを強い電気のように流れる。壁に寄りかかっていたらすごい振動でまだ「ニーチェの馬」は続いていたんだと思い知る(笑)。終盤はカラフルな高音が空間を浮遊しぐるぐると回転しループする。こんな音作りがひとりでできるのかと驚くばかり。

第3楽章で初めて「Living With Yourself」の楽曲を思い出すような生に近いボイスが流れる。リズムは記憶の奥で感じるような儚さがあり、音色がストリング調に変わったり、もっとアコースティックなったストロークはラテンや南国風の情熱的な広がりをみせていった。そして下のほうにもぐったマーク。自分の声を変換してループ。それを扇情的に重ねてゆくと、次第に不安がバーストしてゆくような感覚におそわれた。

安堵感とかちょっとチルウェイヴな音を想像していたら違った印象をもつだろう。演奏も肉体派(このへんはクラウトロック?)で、音自体にとても動きのあるライヴ。あるインタビューによると、彼がはじめて自分のギターを手に入れたのは9歳(ギターはこの星でいちばんクールなもの!)。若い時はブルースやロック、ヘビメタ、パンクをきいても、(ここからがすごいです)『Bill and Ted(邦題:「ビルとテッドの大冒険 」「ビルとテッドの地獄旅行」。主演はキアヌ・リーヴス。最近実はシリーズの3が製作されるという噂があるんです!)』、『Airheads(邦題:「ハードロック・ハイジャック」。ザ・ローンレンジャーズ(ブランダン・フレーザー、スティーヴ・ブシェミ、アダム・サンドラー)というロックバンドがラジオ局に売り込みいくコメディ。アダム・サンドラーの出世作)』、『BEAVIS AND BUTT-HEAD (テレビアニメ。最近日本でもMTVで放映されはじめたようです)』などをみても、すべてがギターこそが最高(kick-assを使っています)と思わせられていたそうです(マークっておたくなの?)。なんとなく、聴覚だけでなく視覚的にもギターの存在を愛しているのがすごい、と思った。

ライヴについていえば、美しい映像が思い浮かぶとか、カラフルな絵が見えるとかはちょっと違う空間のあり方だったとも思う。アンビエント・サイケのようなドリーミーさだけでなく、時にはドリーミーを突き抜く野蛮なくらいの躍動があったりする。音そのものが何かを表現しているようだった。曲作りについてのインタビューで「自分が演奏することによって環境を形づくろうとすることもある」というフレーズが印象的、演奏がより能動的なのだと思う。

Young Person's Guide to Mark Mcguire」は未聴なのだけど、大きく興味をもった。彼のギターから始まる音楽への強い思いは、ゼロ年代後半のエメラルズの地元での活動、テープ・シーンと併走してきたのだろうか。方法論としてデジタル批判である以前に、テープをすり切れるまできいたり、アナログ盤を漁ったりという、コアなリスナーの音楽の愛し方(「ハイ・フィデリティ」で描かれているような?)の行方を思う。

アンコールは「ゲット・ロスト」。かなり激しい楽章を重ねた後の、やさしさの回路のようなこの曲はやはり無敵。最後に指でVの字をつくって、やりとげた表情をみせてくれました。

5/9



Mark Mcguire/Living With Yourself


Mark Mcguire/Get Lost


チェルフィッチュ『現在地』/KAAT

あるカフェのようなダイニングのような教室のような集会所のような場所。窓からは空とあまり動かない雲が見えている。今回のキャストは女性だけでフルメンバーがほどなくして登場。舞台の村に訪れるだろうカタストロフのサインをある女子が話し始める。周りは、信じる/信じない、逃げる/逃げない。別の女子は預言者に出会った話をする。友達になる/ならない、許す/許さない。ノアの方舟のような神話、あるいは宇宙船のようなSFはフィクションなのか・・・そして窓の情景は宇宙へとかわり、部屋の照明だったまあるいランプたちは惑星のようにみえてくる。

この機会にチェルフィッシュの「ゾウガメのソニックライフ」を思い出してみる。

「ゾウガメのソニックライフ」は2011年2月に上演された。ちょうど日本でツイッターが広がって1〜2年ぐらいたったころだと思う。日常を埋める、ハプニングや感動などが小刻みに視覚化されているような印象をもっていた。それはスレッドの書き込みとか、もっと遡れば長電話とか、よくある時代のコミュニケーションの形かもしれない。日本(とくに関東圏)における戦後からの(ある程度の)平和の長さはカメの長寿を思わせる。そして厚い甲羅に覆われたカメは、生身の恋人ではなく、死んだ(ことになっている)恋人を思うのだろうか。それなら安全で傷けられることもない。ある時は洗濯バサミで遊ぶだろう。時々変なところにつけて不格好にみせたり、挟めば適度に痛かったりして、ちょっとコミカルな自分、ちょっと不幸な自分。安全な範囲なら予定外もOK。

「ゾウガメのソニックライフ」には、豪快な自尊心や立身出世の強欲などとはまさに反対向きのごく小さな自己愛や欲望が見える(カメには満腹中枢がないときいたことがある。ゾウカメもそうだろうか?)。だいたいは部屋にいるけど、時には偶然ってやつがクラブのパーティにつれていってくれるかもしれない。東京に住んで結構詳しいけど、刺激的な毎日というわけでもない。(安全な範囲に)ゆらゆらした均質的な生活。途中移動する民族の話がでるが、定住生活の否定という訳ではないだろうし、問題をはっきりさせようという訳でもないだろう。ただこの定住生活はちょっと気味が悪いと思った。カメの臨終。知り合いとおぼしき人は実は彼(女)のことをよく知らない。

そして約一ヶ月後に震災がおこる。定住生活という土台が大きく揺らぐ。「ゾウガメのソニックライフ」がその問題を先行して提起していたのかどうかはわからないけど、その不気味さを見ていることは自分の中での体験として重要だったのではないか、と思っている。

「現在地」。提示される事象が人の心にいろんな働きかけをする。しかも人によって、いろんなことを、いろんな立場でいう。渡されたパンフには、チェーホフの「桜の園」を読んで、フィクションの有効性に気づいたとかかれていた。没落貴族の桜の園が売却される事象そのものよりも、そのことに基づき、周りの人々はいろんなことを思い、算段し、発言し、期待したり、失望したり、恨んだり、あきらめたり・・・そこに留まるのか、留まれないのか、留まる気もないのか、そして力関係も変化する。

「現在地」は、終末の予兆のへの言及から始まり、人々の観念、思惑、態度、言及、そしてその差異は、異様な膨らみ方をみせる。語る人、その役割は順ぐりにまわる。7人の女性は「役」は固定であるが、語る人(々)以外は舞台上で「観客」となる。この小さな舞台の外にまた、【観客】がいるという構図。フィクションといっても、大きな神話でも古典の名作でもない。少し似ているかもしれないが、いかにも「現在」語られそうなフィクションであることが重要だったと思う。語尾の「わ」で、登場人物同様の話し方をする(「いうか」は封印?)。その登場人物、しかも若い女性だけの小さなくくりは「現在」のツイッターやSMSなどの小さなくくりのようでもある。「観客」はフィクションに対してそれぞれ違った立場で発言したり、行動したりする。事実だけで端的に判断するもの/わからないものはわからないとするもの、正論(たぶん)をいうもの/わざとそれに悪態をつくもの、自分と違う考えの人を責めるもの/人は人と思うもの、自分がどのように見られているか気にするもの/人からどう見られようと自分のしたいことするもの、問題を楽観的にとるもの/悲観的に問題視するもの・・・あんな小さな空間でも小さい対立関係が勃発するのを、【観客】はまざまざと見せつけられてゆく。

そして【観客】の方も「現在地」を見ていろんなことをいう。いつものチェルフィッチュと違っていてつまらない、とか、ポスト演劇をやめたのか、とか、震災をテーマにしたにしては食い足りない、とか、フィクション性が弱い、とか、実際見聞きした感想である。この状況がまさに「現在地」なのだと思う。そして【観客】からこのような発言が出る構造こそがこの作品の主体なのではないかとも思う。

「ゾウガメのソニックライフ」で重要だったのは定住生活への警鐘だけでなく、小さな「自己本位」の不気味な感覚ではなかったかと強く思う。

しばらくして思い出したのは、佐々木中さんの「切りとれ、あの祈る手を <本>と<革命>をめぐる五つの夜話」という本。(以下引用)「本という鏡に映し出された、自らの無意識が創り出した妄想」「世界と、自分と、本が別にあるということがわからなくなる」。本を演劇におきかえてみたらどうだろうか。


作・演出/岡田利規 美術/二村周作 音楽/サンガツ ドラマトゥルグ/セバスチャン・ブロイ
ナホコ/伊藤沙保 ハナ/南波圭 サナ(シノブ)/上村梓 マイコ/安藤真理 カスミ/青柳いづみ アユミ/山崎ルキノ チエ(タエコ)/佐々木幸子




イタリア映画祭2012 雑感 「大陸」「七つの慈しみ」

少しだけ作品の感想を。

公式サイト
http://www.asahi.com/italia/2012/

「大陸」Terraferma [2011年/88分] 
監督:エマヌエーレ・クリアレーゼ(Emanuele Crialese)

2011年ヴェネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞、アカデミー賞イタリア代表。エマヌエーレ・クリアレーゼ監督の作品は「グラツィアの島(Respiro)」(イタリア映画祭2003で上映)、「新世界(Nuovomondo)」(イタリア映画祭2007で上映)など海の情景が思い浮かぶ。監督の3作品に出演している主演のフィリッポ・プチッロはペラージェ諸島のランペドゥーザ島出身。「大陸」の実際の撮影はリノーザ島で行われたようだが、どちらもアフリカ大陸に近い。

漁業が下向きになり、観光業に力をいれる島。亡き父を継いだフィリッポは祖父と一緒に漁に出ていた。一方叔父のニーノ夫妻は観光業を営み羽振りよく見える。この観光業には、不意にやってくるアフリカの難民たちがイメージダウンに繋がるという問題があった。作品の中でフィリッポの心、価値観、アイデンティティが、雄大な海の表情(表面的には美しい海のパノラマ。海中にはいろんなものが沈んでいる)にたくさんの人々が魚影のように惑わせる中、大きく揺れ動く。

島のおじいちゃんたちか船乗りの掟を語る。命を助けることが最優先。しかし現在の法律、世界情勢ではそれは罪となる矛盾。フィリッポ一家は祖父がアフリカ難民の幾人かを救ったことから辛酸をなめることになる(彼らの船をとりあげる警官はファシストのよう)。そしてフィリッポは、観光業の叔父のもとでビーチで観光客の世話をしたり、クルージングを盛り上げたりして過ごす。その後家にヴァケーションでステイしているマウラ(Martina Codecasa)と仲良くなり、夜のセイリングに沖へ乗り出すが、この小さな船にも難民たちが泳ぎつく。

(脱線します)
Q&Aのときに触れられましたが、Terrafermaとは「揺れない大地」と意味するとのことで、どうしても浮かんでしまうのが「La terra trema」つまりヴィスコンティのシチリアの漁村を舞台にした「揺れる大地 海の挿話」(1948)である。プロレタリア三部作(農夫編、鉱夫編をも予定していたらしいが撮られなかった)の手始めとして共産党から資金をうけて撮影がスタートしたが、途中で資金が切れ、ヴィスコンティが私財を投じて完成。仲買人に搾取されるある漁師が蜂起し独立を試みるネオ・リアリスモ時代の作品。この主人公は挫折に見舞われるが、そこには心の葛藤が垣間見れる。もちろん時化(しけ)や冷たい社会の仕打ちなど現実も揺れているのだけど。

この「大陸」でもフィリッポの心が常に葛藤してるようだった。特にマウラからの一瞥を刺された彼は激しく揺れ、難民の母子を「揺れない大地」へ運ぶことを決心する。移民や産業問題などキーワードはあるかもしれないけど、この作品に感動させられるのは、誰でも悩むような選択のむずかしさ、やりとげることの意味、自分の中の価値観の行方などで、だから不変だし、こちらの心まで揺さぶってくるのしれません。

Filippo Pucillo(フィリッポ)
Donatella Finochiaro(母ジュリエッタ)
Mimmo Cuticchio(祖父エルネスト)
Timnit T.(アフリカ人サラ)
Beppe Fiorello(叔父ニーノ)

ゲストで登壇したフィリッポ・プッチッロくんは監督には島のお祭りの時に話しかけられて仲良くなったといっておりましたが、ほんとうに一度みたら忘れられない容貌とチャーミングさ。俳優の仕事をしていないときはランペルーザで観光の仕事をしているそうです。母ジュリエッタを演じたDonatella Finochiaroは、マルコ・ベロッキオ監督の「結婚演出家」(イタリア映画祭2007で上映)に出ていたことを思い出しました。


「七つの慈しみ」Sette opere di misericordia [2011年/103分] 
監督:ジャンルカ&マッシミリアーノ・デ・セリオ(Gianluca e Massimiliano De Serio)
 
あらためてタイトルをみて、なるほどと思った。この作品にはナポリのピオ・モンテ・デラ・ミゼリコルディア聖堂にあるカラヴァッジオ(Michelangelo Merisi da Caravaggio)の「慈悲の七つのおこない」の枠組みがあらわれる。マタイ福音書の慈悲のおこない(「旅人の歓待」「病人の見舞い」「食物の施与」「衣服の施与」「飲物の施与」「囚人の慰問」) に「死者の埋葬」加えて描かれたもので、その各場面をひとつの場面にする構図。空間にはひたひたと闇がみちているような印象たっだ。しかし転じて、この作品は小さく存在する光の方に焦点があたっているように思う。

「七つの慈しみ」の主人公の二人、モルドバ不法移民のルミニツァはイタリア語をあまり話さないし、病気の老人アントニオは喉に穴をあけているので、あまり話せない。これは監督たち(双子なのです!)が祖父とその最後の日々を過ごした経験によって、言葉を発しなくてもコミュニケーションがとれることがヒントになっていると挨拶でおしえてくれました。二人の接点はアントニオが入院した病院。ルミニツァはここに盗みだけでなく(おそらく身分証明書が手に入るまでは、盗みで入国時の借金をかえしていると思われます)、霊安室で働く男に、死亡した(移民)女性の身分証明書を得るための交渉をしているよう。彼女は元締家系の赤ちゃん誘拐するというその男の悪巧みにのせられ、監禁する部屋を求め、丁度退院したアントニオを追い、マンション占拠するに至る。

この作品ではガラス窓や箱が、枠であり、インターフェイス(通過させない事を含めて)でもある。棺、ベッド、バスタブ、バスやバンの中。そしてガラス越しに、あるいはガラスに反射させて映す(音はオフ)など、彼らが閉じ込められた存在であることを感じさせる。ドキュメンタリーを撮っていた監督らしく、長いシークエンスを入れたり、ノイズがありのまま響きリアルなのだけど、コンセプトあるいは枠をもってくることで(彼らは短編でも評価されている)、そのリアルさを強調しすぎず、現実そのものよりもそこに蠢く人と人、人と社会の関係のディテールを感じるようになっているのではないだろうか。

以前見た「ゴモラ」では、マフィア、移民、搾取、住宅問題、高齢化社会、そして産業廃棄物、土地誘致・・・というような問題が一気にぶちこまれた、ある意味トラッシュ・パンクな作品だった(と思う)。トリノ郊外を舞台にしたこの作品でも、アントニオはタイヤを処分する仕事(違法?)をしているようで、裸になったホイールがトラックに積まれる(どんな廃棄物処理なのかはわからない。臼砲みたいなのも出てきた)。そういったフレーム外の数々の問題を慎ましく感じさせてゆく。その慎ましさは全体に行き渡っていて、音の音域、使われる色のトーンまでコントロールされているように思えた。ルミニツァが白いセーターとえんじ色のパンツに着替えさせられるシークエンスでは、はじめて色を見るような感覚がやってくる。色が見えるということは光の存在を証明しているのかもしれない。選択の慎ましさとは裏返しにカメラワークは大胆。極度な背景のぼかし、フレームアウト、360度ワンカットのトラベリング、フェイスショットのホワイトアウト・・・こんな自由闊達さをもつ作家はカルロス・レイガダスぐらいしか浮かばない。窓ガラスの顔を押し付けるアントニオのショットは、まるでルシアン・フロイドの絵のようだった。

細部でも語られない部分があるが、ラストも語られない。「観客に感じたり考えていっしょに映画に参画してほしい」「これはマイナスではなくプラスなのです」と監督。たとえ語られずとも、ルミニツァとアントニオの間にはなんらかのコミュニケーションができたと実感しました。撮影に使用した病院は実際監督の祖父が入院されていた病院とのこと。その介護士の多くは移民の方だったことも話されていました。

Roberto Herlitzka(アントニオ)
Olimpia Melinte(ルミニツア)
Stefano Cassetti(霊安室の男)

霊安室で働く男は唯一喋る役だと監督はQ&Aで話していました。透き通るような眼をしている俳優だけどそれは彼の役どころと裏腹と。このステファノ・カセッティはセドリック・カーン監督の「ロベルト・ズッコ」(実際あった殺人事件を扱っている。ベルナール=マリ・コルテスの戯曲(コルテス戯曲集)もあるが、この映画はジャーナリストのルボをもとに製作。まだ横浜で開催されていたフランス映画祭でみましたが、その瞳をみると息が止まりそうだった)で主役を演じていました。アントニオを演じたロベルト・ヘルリッカは舞台を中心に活躍されているようですが、マルコ・ベロッキオの「夜よ、こんにちは」では極左武装集団「赤い旅団」に誘拐されるモロ元首相を演じていました。

他の作品ももう少し紹介する予定です!


参考(なんか偶数年しかいってないような・・・)



「こうもり」/ ウィーン国立バレエ団

ローラン・プティの「こうもり」は見るのは2回目。プティ観賞記録によると10年も前のこと。記憶がうすれているとはいえ、今回の「こうもり」はずいぶん印象が違う。全体としてのコントロールがよくできていて、ウィーンらしさ漂う公演だったと思う。

前回はベラはアレキサンドラ・フェリ、ヨハンはマッシモ・ムッル、ウルリックはルイジ・ボニーノだった。マッシモのどこかファナティクな雰囲気やフェリの変身の衝撃が印象深い。(ミラノ・スカラ座の「こうもり」DVD)

ヨハンのウラジーミル・シショフは長身、手足も長く衣装が似合う。彼のスタイルなのかそのような役作りなのかサラっと演じていました。サラっとはよしとしても、なんとなく平坦で、でもあれだけ美男だと期待も増すよね・・・と心の中でぐるぐると。ベラのイリーナ・ツィンバルも控えめな演技なのでこれはきっと全体のトーンなのだと思った。ビスチェに変身したときの華やかさも控えめなのはちょっと残念。プティ作品の脚というのはある意味重要なポイント。脚が雄弁というのも変な話ではあるけど。

デニス・チェリェヴィチコはかなり童顔だし、彼がウルリック?と思っていたのだけど、とてもよかった。才能豊かだと思う。ボニーノほどコミカル一辺倒というほどではなく、存在感でみせるところもあり、定期的に会場を笑わせてくれました。狂言回し的なウルリックの他にもカフェのギャルソン3人組の超絶テクニックやカンカンの踊りなど洒落た展開も見物。のはずなのだけどこちらも控えめ。一幕のラストでベラの馬車に力技で乗り上げるヨハン。ここではウラジーミル・シショフの抜群の容姿がいき(バットマン系)、迫力ある幕切れで、2幕への期待を盛り上げてくれました。

仮面舞踏会からの2幕。チャルダッシュのアレクサンドル・トカチェンコがすごい。足先もとてもきれいで感動。ウルリックとのアンサンブルも身長もほぼ揃っていて楽しかった。刑務所の場にうつって、ヨハンの歌唱、その後の監獄のパドドゥ?白と黒のパドドゥ?がすばらしかった。リフトも高く、ウラジーミル・シショフのサポート力の確かさ、イリーナ・ツィンバルの聳立した美しい脚!プティの真骨頂。激しい動きはないのに高揚感があって、こういうのを幸福感というのかなと思ったり。もう感無量で、すべてをシャンパンの泡で洗い流す気になるというもの。

ところで記録によると、新国立劇場の「こうもり」を見た2002年にルグリと輝ける仲間たちの公演があり、当時ウィーンのプリンシパルだったジモーナ・ノヤとルグリのプティ振付「チーク・トゥ・チーク」を見たのでした。現在ジモーナ・ノヤはウィーンバレエ学校の校長をつとめているようです。

Die Fledermaus(J.strauss.2): (R.petit)teatro Alla Scala Ballet


4/29 ソワレ
振付・演出:ローラン・プティ
音楽:ヨハン・シュトラウス鵺世(ダグラス・ギャムリー編曲)
舞台美術:ジャン=ミッシェル・ウィルモット
衣裳:ルイザ・スピナテッリ
装置制作・照明:ジャン=ミッシェル・デジレ
振付指導:ルイジ・ボニーノ、ジャン・フィリップ・アルノー

ベラ:イリーナ・ツィンバル
ヨハン:ウラジーミル・シショフ
ウルリック:デニス・チェリェヴィチコ
メイド:マルタ・ドラスティコワ
グランカフェのギャルソン:マーチン・デンプス、リヒャルト・ザボ、ドゥミトル・タラン
チャルダッシュ:アレクサンドル・トカチェンコ
看守:ガーボア・オーベルエッガー

指揮:ペーター・エルンスト・ラッセン
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

※ 途中地震などもありましたが、ダンサー、オケのみなさん、ショウマストゴーオン。あとワルツのすばらしさを再認識もいたしました。




第65回カンヌ国際映画祭コンペティション ラインナップ

カンヌ国際映画祭が5月19日に開幕します。
オフィシャルコンペティションの審査委員長はナンニ・モレッティ。

http://www.festival-cannes.com/jp.html

コンペティションのラインナップ(かなり脱線します)

オープニング上映
Moonrise Kingdom/ウェス・アンダーソン
12歳の男の子と女の子が駆け落ち?60年代を舞台に2人をシェリフと家族が追いかける。出演はブルース・ウィリス(シェリフ役?)、ビル・マーレイ、ハーヴェイ・カイテル、エドワード・ノートン、ティルダ・スウィントン、フランシス・マクドーマンド、そしてジェイソン・シュワルツマン。
配給予定:ファントム・フィルム
     
After The Battle(Après la bataille)/ユスリー・ナスラッラー Yousry Nasrallah
ユスリー・ナスラッラー(ユスリ・ナスララ)はエジプトの映画監督。映画批評から監督助手、ユーセフ・シャヒーンのアシスタントも経ているらしい。

The Angels' Share/ケン・ローチ
スコットランドが舞台のウィスキーのお話。ロビー(ポール・ブラニガン)が懲役の代わりとして地域奉仕活動を命じられ、ウイスキー蒸溜所と出会う。ローチ作品ではおなじみのポール・ラヴァーティが脚本。バルブレア蒸留所やグレンゴイン蒸留所も見れるとか。ちなみに、ウイスキーを樽に寝かせる過程で減る年に2〜3%揮発部分を「エンジェルズ・シェア(天使の分け前)」とスコットランドの人々はよんでいます・・・と、酒飲みのひとりごとでした。

Beyond The Hills(Dupa dealuri)/クリスティアン・ムンジウ
クリスティアン・ムンジウ監督は「4ヶ月、3週と2日」が第60回カンヌパルムドールを受賞。この作品はルーマニアの孤児院で育った2人が女性は違った道をゆくストーリー。

Cosmopolis/デイヴィッド・クローネンバーグ
原作はドン・デリーロの「コズモポリス」。主演はロバート・パティンソン(「トワイライト」)。彼が演じる億万長者エリック・パッカーの凋落を描いている模様。出演は他にジェイ・バルシェル、ポール・ジアマッティ、ケヴィン・デュランド、ジュリエット・ビノシュ、サマンサ・モートン、マチュー・アマルリック。ところで前作フロイトVSユングの「デンジャラス・メソッド」は公開されないのでしょうか。

Holy Motors/レオス・カラックス
待ち焦がれたといってもいいでしょうか。レオス・カラックスの新作。出演はドゥニ・ラヴァンをはじめ、エディット・スコブ(「顔のない眼」)、エヴァ・メンデス(「アンダーカヴァー (原題:We Own the Night)」、ミッシェル・ピコリ!そしてカイリー・ミノーグ!!

The Hunt(Jagten)/トマス・ヴィンターベア
以前ドグマ95なる運動がありましたが、そのなかでも「セレブレーション」は疾走感のある作品(1998年カンヌ審査員賞受賞)でした。その監督トマス・ヴィンターベアの新作。主演はマッツ・ミケルセン。

In Another Country/ホン・サンス
ヘミングウェイとは関係ないようです。出演はイザベル・ユペール、ユ・ジュンサン(Jun-Sang Yu、「黒く濁る村」)。ユペールが複数のアンナを演じている模様。ユ・ジュンサンはホン・サンス監督の「ハハハ(夏夏夏)」にも出演。「The Day He Arrives(プクション北村方向)」でプサン映画評論家協会賞男優主演賞受賞。

In The Fog(V tumane)/セルゲイ・ロスニツァ(Sergei Loznitsa)
ウクライナ出身の映画監督。キエフ、モスクワで学び、サンクトペテルブルグ、現在はドイツ在住。一昨年も「My Joy」がコンペに選出されている。

Killing Them Softly/アンドリュー・ドミニク
「Chopper(邦題:チョッパー・リード〜史上最凶の殺人鬼〜 )」「ジェシー・ジェームズの暗殺」のアンドリュー・ドミニクの新作。原作はジョージ・V・ヒギンズ「Cogan's Trade」。「ジェシー・ジェームズ」に引き続きブラット・ピット主演。

Lawless/ジョン・ヒルコート
すっかり混乱してしまっていたが、テレンス・マリックの来年公開予定の新作も「Lawless」で、ライアン・ゴスリング、ルーニー・マーラ、クリスチャン・ベイルらが出演。撮影はオースティンのSXSW開催時にも行われ、ネオン・インディアン、ザ・フリート・フォクシーズ、アーケイドファイアも登場するという情報もあった。こちらの「Lawless」はザ・バッド・シーズのニック・ケイヴが音楽と脚本も手がけている。ジョン・ヒルコート監督(「ザ・ロード 」、「プロポジション 血の誓約」)はオーストラリア出身でマニック・ストリート・プリーチャーズ、デペッシュ・モード、ニック・ケイブ・アンド・ザ・バッド・シーズ のPVやインエクセスやブッシュのドキュメンタリーと撮っている。原作はMatt Bondurantの「The Wettest County in the World」で、物語の中心になるボンデュラント3兄弟はシャイア・ラブーフ、トム・ハーディ、ジェイソン・クラークが演じます。

Like Someone In Love/アッバス・キアロスタミ
元大学教授と女子大生のラブ・ストーリー。ある映画祭にいったら、監督が今度は日本で撮るとおっしゃていて、本当に実現してしました。主演の2人は一般公募、また資金の一部もソーシャルなシステムでの調達が試みられていました。
配給予定:ユーロスペース

Love(Amour)/ミヒャエル・ハネケ
ジャン=ルイ・トランティニャン(「男と女」)とエマニュエル・リヴァ(「二十四時間の情事」)が80歳代の夫婦を演じる。その娘はイザベル・ユペール。
配給予定:ロングライド


Mud/ジェフ・ニコルズ
テイク・シェルター」でカンヌ批評家週間グランプリ。ジェフ・ニコルズ監督の新作。出演はリース・ウィザースプーン、マシュー・マコノヒー、レイ・マッキノン、そしてやっぱりマイケル・シャノン。

On The Road/ウォルター・サレス
いわずと知れたビート・ジェネレーションの名作ジョン・ケルアックの「路上(オン・ザ・ロード)」の映画化。出演はサル役(つまりケルアックですね)はサム・ライリー(「コントロール)、ディーン役(つまりニール・キャサディですね)はギャレット・ヘドランド(「トロン:レガシー」)。他にクリステン・スチュワート、ヴィゴ・モーテンセン、エイミー・アダムス、キルステン・ダンスト。ブラジル出身のウォルター・サレス監督はガエル・ガルシア・ベルナル主演の若き日のチェ・ゲバラを描いた「モーターサイクル・ダイアリーズ 」や「仄暗い水の底から」のリメイク「ダーク・ウォーター」などで有名。撮影はエリック・ゴーティエ(アルノー・デプレシャン監督作品、「ポーラX」そして「イントゥ・ザ・ワイルド」)。またプロデューサーにフランシス・フォード・コッポラが名前を連ねているのが気になるところ。


The Paperboy/リー・ダニエルズ
原作はピート・デクスターの同名小説「The Paperboy」 (新聞配達の絵本のほうではありません)。マイアミ・タイムズの記者が、警官殺害事件を調査するうちに、間もなく死刑を迎える犯人の無実に気づく。出演はザック・エフロン、ニコール・キッドマン、マシュー・マコノヒー、ジョン・キューザック。監督のリー・ダニエルズの近作は「プレシャス」。スチールを見ると、ザックの二の腕に釘付けです(失礼)。
配給予定:日活


Paradise(Paradies)/ウルリッヒ・ザイドル
ウルリッヒ・ザイドル(Ulrich Seidl)はオーストリアとチェコスロヴァキア国境の村を描いたドキュメンタリー「予測された喪失」(山形国際ドキュメンタリー映画祭優秀賞受賞)や「ドッグ・デイズ」(ベネチア映画祭審査員特別大賞)で知られるオーストリアの監督。この「Paradise(Paradies)」はトリロジー(3部作)となっており、今回出品されるのは「Paradise: Love(Paradies: Liebe)」。そのあと「Paradise: Faith (Paradies: Glaube)」「Paradise: Hope (Paradies: Hoffnung)」と続く、らしい。

Post Tenebras Lux/カルロス・レイガダス
メキシコの映画作家カルロス・レイガダスは特に新作を楽しみにしている監督のひとり。彼の半自伝的な作品で、住んだ場所(メキシコ、イングランド、スペイン、ベルギー)を巡る。タイトルは「Light After Darkness」を意味するラテンの有名なフレーズ。


Reality/マッテオ・ガローネ
ゴモラ」でカンヌ審査員特別グランプリ受賞。マッテオ・ガローネ監督の新作。

Rust And Bone(De rouille et d'os) /ジャック・オディアール
グランプリ受賞作「預言者」が今年ようやく公開されたジャック・オディアール監督の新作は、カナダの作家、Craig Davidsonの「Rust And Bone: Stories」からの翻案。主演はマリオン・コティヤール(シャチのトレーナー?)、マティアス・スーナールツ(ベルギー出身の俳優でアカデミー外国語映画賞ノミネートの「闇を生きる男(Bullhead)」に主演。ヒット作「ロフト」にも出演)。

The Taste Of Money/イム・サンス
イム・サンス監督の作品は前作「ハウスメイド」(キム・ギヨンの「下女」のリメイク)に続き2年連続でコンペに選出された。出演はキム・ガンウ、ユン・ヨジョン、キム・ヒョジン。

You Haven't Seen Anything Yet(Vous n'avez encore rien vu)/アラン・レネ
「風にそよぐ草」に続く新作は「あなたはまだ何も見ていない」。ジャン・アヌイの戯曲「エウリュディケ(Eurydice)」が登場する。出演はレネ組のサビーヌ・アゼマ、ピエール・アルディティ、そして前作より組に加わったと思われるマチュー・アマルリック、アンヌ・コシニー。戯曲の様々ヴァージョンというのは「Smoking/No smoking」を思い出します。


クロージング上映(コンペ外)
Thérèse Desqueyroux/クロード・ミレール
先日の訃報に驚きました。ミレール監督の遺作「テレーズ・デスケルウ」。主演はオドレイ・トトゥ(「アメリ」)、ジル・ルルーシュ(「この愛のために撃て」)。原作はフランソワ・モーリヤック(アンヌ・ヴィアゼムスキーの祖父)の同名小説「テレーズ・デスケルウ」(この作品はジョルジュ・フランジュも1962年に映画化。共同脚本はモーリヤックのご子息で作家のフランソワ・モーリアック)。病をおしながらの撮影だったようで、完成直後になくなられたとのこと。ご冥福をお祈りいたします。日本での公開も祈願しつつ。




Fevorite Stages (Ballet): 2011

それほど観ていないのですが、自分のメモとして。
3本+ガラ2本。日付順です。

ベルリン国立バレエ「チャイコフスキー」(1/23)
東京文化会館

ボリス・エイフマンの作品は90年代に、当時はレニングラードバレエシアターというカンバニーだったけれども来日公演が度々あって、この「チャイコフスキー」も上演されていた。観ているはずなのだけど、あまり思い出せない。「赤いジゼル」という有名な作品があって観たが、実はこちらもあまり思い出せない。しかし、エイフマンの作品が、すぐに忘れてしまうような取るに足らない作品というわけではない。

彼の作品は、登場人物の内面、とりわけ精神に支障をきたしてゆくようなシュチュエーションに歴史や文学が絡んでいくことが多いと思う。劇中劇や分身が出てくる二重構造になっていたり、そしてその具現の手段として様々な伝統的なバレエ作品も異化効果に近いようなかたちで登場してきたりもする。そうするとノイマイヤーの「ニジンスキー」や「幻想 白鳥の湖ように」とそんなに遠くないかもしれないのだが、なぜかそうでもないなあと思ってしまう。

なんだかエイフマンの作品は、確かにみて、記憶にその残滓を感じながらも、思いだすことができない夢に似ている気がするのです。

エイフマン作品のその感触は、マラーホフの「チャイコフスキー」でもほぼ同様あり、でもちょっと違っていた。1幕では「白鳥の湖」や「眠れる森の美女」、「くるみ割り人形」のモチーフがちりばめられるが、様々な強迫観念となって現れ、とにかく不穏。チャイコフスキーの分身を踊ったヴィスラウ・デュデク(Kバレエなどでも活躍されているプリンシパルのSHOKOさんのご主人だそうです)が、本当にマラーホフの影のようで驚く。2幕ではフラッシュショッツのようにしか思い出せないのだけど、チャイコフスキーの精神のゆがみが赤裸々かつ倒錯する舞台が展開。「スペードの女王」のカードシーンのモチーフも狂乱に拍車をかけてゆく。

チャイコフスキーの生涯を繙くと、バレエの登場人物を巧みに交錯させたこの作品は、ほんとうによく考えられていることがわかってくる。結婚後ずっと別居していた妻を思わせる人物は結婚式の純白のドレス、黒いベール、そしてマッツエックの「ジゼル 」のような髪のない姿からラストは少女と変貌。バトロンではあったが会ってはくれなかったフォン・メック夫人は、不気味なカラボスからスペードの女王の伯爵夫人だろうか。そして分身はドロッセルマイヤーやロットバルト、チャイコフスキーは男色ではなかったかという説もあるようで、憧れのくるみの王子がジョーカーに変身して苦しめる存在となるなど、彼の人生と作品も分身のようなのだ。

ところで今回、以前のエイフマン作品観賞後とちょっと違っていたのは、たぶん自分が年をとったからではないかと思うが、それ以上にマラーホフの存在によるものであることは間違いない。ラストのマラーホフ=チャイコフスキーの悲痛と恍惚がオーバーラップしたような表情。これこそがこの作品の主題だと感じた。

そしてマラーホフは、いつものように、ラストのカーテンコールはやはりハーフネイキッドなのでした。

台本・振付・演出: ボリス・エイフマン
音楽: ピョートル・チャイコフスキー(交響曲第5番、聖ヨハネス・クリュソストムスの典礼、弦楽セレナード、イタリア奇想曲、交響曲第6番より)
装置・衣裳: ヴァチェスラフ・オクネフ
全2幕 初演:1993年 ベルリン国立バレエ改訂初演:2006年

チャイコフスキー: ウラジーミル・マラーホフ
分身/ドロッセルマイヤー: ヴィスラウ・デュデク
フォン・メック夫人: ベアトリス・クノップ
チャイコフスキーの妻: ナディア・サイダコワ
王子(若者/ジョーカー): ディヌ・タマズラカル
少女: ヤーナ・サレンコ

指揮: ヴェロ・ペーン
演奏: 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団


東京バレエ団「ラ・バヤデール」(4/13)
東京文化会館

ひさしぶりのマカロワ版。そして震災後はじめての劇場で、とても思い出深い観劇となりました。やはりフリーデマン・フォーゲルの来日は難しく、代わって出演したマシュー・ゴールディングは長身でテクニックも申し分ないオランダ国立バレエのプリンシパル(初夏の「白鳥の湖」もボッレに代わって出演)。カナダ出身で英国ロイヤルバレエ学校からABTでも踊っている彼のソロルは、かなり新鮮だった。戦士で気位が高く神妙な面持ち・・・という今までのイメージとは違う、爽やかで、軽薄というほどではないにしろシンプルマインドなソロル。実はこのソロルのスタート地点が、事情を知って揺れ動くその後展開を、より劇的にしてゆくことになった。

振付・演出:ナタリア・マカロワ(マリウス・プティパ版による)
振付指導:オルガ・エヴレイノフ
音楽:レオン・ミンクス

ニキヤ(神殿の舞姫):上野水香
ソロル(戦士):マシュー・ゴールディング
ガムザッティ(ラジャの娘): 田中結子
ハイ・ブラーミン(大僧正): 後藤晴雄
ラジャ(国王):木村和夫
マグダヴェーヤ(苦行僧の長):高橋竜太
ブロンズ像:松下裕次

指揮: ワレリー・オブジャニコフ
演奏: 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

ちょっと前ですが、マカロワ版の映像。
ブロンズ・アイドルは熊川哲也さん。
ラ・バヤデール 
英国ロイヤル・バレエ、熊川哲也、アルティナイ・アスィルムラートワ、 イレク・ムハメドフ

マシュー・ゴールディング主演の映像を見つけました。
ドン・キホーテ
オランダ国立バレエ(ラトマンスキー版)


英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ「真夏の夜の夢」「ダフニスとクロエ」(5/29)
東京文化会館

指揮:フィリップ・エリス (ダフニスとクロエ)/ポール・マーフィー (真夏の夜の夢)
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

「ダフニスとクロエ」
バレエリュスの雰囲気があると思ったら、もともとはフォーキン=ニジンスキーの作品をアシュトンが1951年に新たに振付けた作品のようです。ギリシャの田園抒情詩(ロンゴス)の「ダフニスとクロエ」を底本にしているけど、50年代のテクニカラーの映画を思わせるファッション。雰囲気はアメリカの青春映画なんだけど、どうも自然の感じとか、ジョン・ウェインの「静かなる男」を思い出してしまう。クロエのナターシャ・オートレッドが可憐。別キャストも見ていて、エリーシャ・ウィリスもよかったのだけど、ナターシャが実写版だとすると、エリーシャはアニメ版なイメージでした。ブリュアクシスのアレクサンダー・キャンベルがぐっと舞台を引き締める。「ダフニスとクロエ」はいろんな翻案ができるようで、三島由紀夫の「潮騒」も「ダフニスとクロエ」のリメイクだそう。

音楽:モーリス・ラヴェル
振付:フレデリック・アシュトン
衣裳・装置:ジョン・クラクストン
照明:ピーター・テイゲン

クロエ(羊飼い):ナターシャ・オートレッド
ダフニス(山羊飼い): ジェイミー・ボンド
リュカイオン(都会から来た人妻):アンブラ・ヴァッロ
ドルコン(牧夫):マシュー・ローレンス
ブリュアクシス(海賊の首領):アレクサンダー・キャンベル
パンの神: トム・ロジャース

「真夏の夜の夢」
「結婚行進曲」で有名なメンデルゾーンの「真夏の夜の夢」。原作はシェークスピア。アシュトン版の初演は1964年。未見ですがバランシン版(「真夏の夜の夢」 DVDはロベルト・ボッレとアレキサンドラ・フェリ主演!)もあり、こちらは2幕にディヴェルティスマンのある長いヴァージョン。マイヨー版は「Le Songe」というタイトル。この「真夏の夜の夢」もバレエリュスの面影のある作品だと思います。タイターニアの吉田都さんはいうまでもないですが、オベロンのセザール・モラレスがすばらしい。そしてパックのアレクサンダー・キャンベル、ボトムのロバート・パーカーと、いうことなしのキャストでした。妖精でありながらも、ブラックな味わいを持ち込むところがイギリスらしく、オペロンがちと傲慢だったり、タイターニアがちと強情だったりという一面が垣間見れる。佐久間奈緒さんとツァオ・チーも見たのですが、ツァオ・チーの端正な踊りに見入ってしまった。彼は東洋の妖精ですね。アレクサンダー・キャンベルはこの公演のあと、ロイヤルへの移籍が決まっています。

ちなみに「真夏の夜の夢」は何度も映画化されていますが、マックス・ラインハルトのが好きです(1935)。マックス・ラインハルトは映画監督というよりは舞台製作者(ザルツブルグ音楽祭の創始者)で、映画にもその奇想天外な創作精神を持ちこんでいます。この「真夏の夜の夢」、アルノー・デプレシャンの「クリスマス・ストーリー」にも出てきます。今回の公演はアシュトンの中篇というような2作品でしたが、アシュトンの作品はバレエという枠組みの中でしっかりと創作しながらも、その精神は旺盛に枠からはみ出し、大掛かりとは別の意味でスケールの大きさを感じさせてくれました。

音楽:フェリックス・メンデルスゾーン
振付:フレデリック・アシュトン
衣裳・装置:ピーター・ファーマー
照明:ジョン・B. リード

オベロン:セザール・モラレス
タイターニア:吉田 都
インドからさらってきた男の子:小林巧(東京バレエ学校)
パック:アレクサンダー・キャンベル
ボトム:ロバート・パーカー

アシュトン版の映像。オーベロンはイーサン・スティーフェル!
真夏の夜の夢
アメリカン・バレエ・シアター、アレッサンドラ・フェリ、イーサン・スティーフェル、 エルマン・コルネホ



マニュエル・ルグリの新しき世界II Aプロ(7/16)
ゆうぽうとホール

つづくダンサーの降板をのりこえて実現にこぎつけたルグリの公演。すばらしかった。クラシックからセミコンテンポラリー、そしてもっと新しいコリオグラファーの作品を網羅したプログラム。これがルグリのウィーンでの未来地図のようにも思えた。

「ホワイト・シャドウ」 
振付:パトリック・ド・バナ 音楽:アルマン・アマー
マニュエル・ルグリ、パトリック・ド・バナ 
吉岡美佳、上野水香、西村真由美  東京バレエ団


「海賊」2幕よりメドゥーラとアリのパ・ド・ドゥ
振付:マリウス・プティパ 音楽:リッカルド・ドリゴ 
リュドミラ・コノヴァロワ、デニス・チェリェヴィチコ

「マノン」1幕より寝室のパ・ド・ドゥ
バルボラ・コホウオコヴァ、フリーデマン・フォーゲル
振付:ケネス・マクミラン 音楽:ジュール・マスネ 
バルボラ・コホウトコヴァ、フリーデマン・フォーゲル

「アレポ」
振付:モーリス・ベジャール 音楽:ユーグ・ル・バル 
ミハイル・ソスノフスキー

「ラ・シルフィード」2幕より
振付:ピエール・ラコット(タリオーニ版に基づく)  
音楽:ジャン=マドレーヌ・シュナイツホーファー
ニーナ・ポラコワ、木本全優  東京バレエ団

「白鳥の湖」3幕より黒鳥のパ・ド・ドゥ
振付:マリウス・プティパ/ルドルフ・ヌレエフ 音楽:P.I. チャイコフスキー 
リュドミラ・コノヴァロワ、ドミトリー・グダノフ、ミハイル・ソスノフスキー

「ファンシー・グッズ」
振付:マルコ・ゲッケ 音楽:サラ・ヴォーン 
フリーデマン・フォーゲル 東京バレエ団

「オネーギン」3幕より手紙のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・クランコ 音楽:P.I. チャイコフスキー 
マリア・アイシュヴァルト、マニュエル・ルグリ


新国立劇場 バレエ・オープニング・ガラ(10/1)
新国立劇場オペラパレス

なかなか新国立劇場にいけない1年だったので、ほんとうに久しぶりに新国立のダンサーを見ることができ、そのレベルの高さに驚きました。小野絢子さん、八幡顕光さんはもとより、福岡雄大さん、米沢唯さん、菅野英男さんも今後楽しみです。

「アラジン」から「序曲」「砂漠への旅」「財宝の洞窟」
振付:デヴィッド・ビントレー 音楽:カール・デイヴィス
装置:ディック・バード 衣裳:スー・ブレイン 照明:マーク・ジョナサン
アラジン:八幡顕光
プリンセス:小野絢子
魔術師マグリブ人:マイレン・トレウバエフ
オニキスとパール:さいとう美帆、高橋有里、大和雅美、江本拓、菅野英男、福田圭吾
ゴールドとシルバー:西川貴子、丸尾孝子、貝川鐵夫、清水裕三郎
サファイア:湯川麻美子
ルビー:長田佳世、厚地康雄
エメラルド:芳賀望、寺島まゆみ、寺田亜沙子
ダイヤモンド:川村真樹

初演を拝見しており、抜粋版ではあるけど、グレードアップしているという印象。今回厚地康雄さんを初めて見て(バーミンガムの来日の時も見ていると思うのだけど、ソロとして)、端正かつゴージャスな踊りに息をのむ。川村真樹さんのポワントしているだけで輝くような存在感もこの作品の筋を通していると思う。

「眠れる森の美女」3幕よりグラン・パ・ド・ドゥ
振付:マリウス・プティパ 音楽:ピョートル・I・チャイコフスキー
オーロラ姫:小野絢子
デジレ王子:福岡雄大

「ロメオとジュリエット」1幕よりバルコニー・シーン 
振付:ケネス・マクミラン 音楽:セルゲイ・プロコフィエフ
ジュリエット:本島美和
ロメオ:山本隆之

「ドン・キホーテ」3幕よりグラン・パ・ド・ドゥ 
振付:マリウス・プティパ、アレクサンドル・ゴルスキー
改訂振付:アレクセイ・ファジェーチェフ 音楽:レオン・ミンクス
キトリ:米沢唯
バジル:菅野英男

「シンフォニー・イン・C」から最終楽章
振付:ジョージ・バランシン 音楽:ジョルジュ・ビゼー
第1楽章:長田佳世、福岡雄大
第2楽章:川村真樹、貝川鐵夫
第3楽章:寺田亜沙子、輪島拓也
第4楽章:丸尾孝子、古川和則

芸術監督:デヴィッド・ビントレー
指揮:大井剛史  
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団

DVDと本がセットになっています。
アラジン (バレエ名作物語vol.5) 
デヴィッド・ビントレー 



Favorite Movies : 2011

時間がたってしまったけど。
前半はこちら

公開作5本です。

東京公園 

http://tokyo-park.jp/

小路幸也さんの同名小説「東京公園」が原作。ドラマや映画でひっぱりだこの三浦春馬くんと榮倉奈々さんですが、この作品ほどふたりの魅力を引き出しているものはなかったと思う。大学生で写真家志望の光司(三浦春馬)は公園でベビーカーを押しながら散歩する女性・百合香(井川遥)の写真をとっている時に、男に声をかけられる。この歯科医の初島(高橋洋)から彼女の尾行と撮影を依頼されるのだった。

青山真治監督にしては(失礼!)暖かいトーンで物語がすすむ。義姉の美咲(小西真奈美)のマンションでの美咲と光司のショット(階段!)、なくなった友人ヒロ(染谷将太、ゴースト役です)の恋人・富永(榮倉菜々)とのコミカルでシニカルな切り返し。そこには小津や溝口や成瀬の映画の佇まいを感じる。と同時に東京の公園をアンモナイトにまわるというのは、ジャック・リヴェットの「北の橋」(パリのスゴロク)を思い起こさせる。

人はわからないと無理矢理言葉にしてしまう、しかし言葉にしてしまうとその分だけ見えないものが増える(意訳)は、原作者が意識したというキャロル・リード「フォロー・ミー」にある。冷めたベリンダ(ミア・ファロー)とチャールズ(マイケル・ジェイストン)の夫婦関係。ベリンダの意味もない外出に際し、チャールズが探偵を尾行させる話だが、言葉ではなくまなざしのシャン・コントル・シャン(切り返しショット)がテーマなのかもしれないと思った。美咲と光司が出会ったばかりの子どものころのお互いのまなざし、光司が百合香をファインダー越しに覗いたときに見つめ返されるショット。また「フォロー・ミー」にはクリストフォルーなるインターフェイスのような人物がいるが、「東京公園」では初島と妻の百合香には光司が、光司と富永にはヒロがいて、いつか役目を果たしその間から消失するのだった。作家の島田雅彦さんがパーティの場面に出演していて、ベランダで望遠鏡をのぞいてみるよう光司にすすめる。光司の感想は、まるで街に見返されているようですね、だった。



探偵はBARにいる

http://www.tantei-bar.com/


私立探偵つながりでもう一本。東直己さんのススキノ探偵シリーズの「バーにかかってきた電話」が原作。すすきのバー・ケラーオオハタ、黒電話。探偵は「ある弁護士に、去年の2月5日、カトウはどこにいたのか?」と訊いてくれ、という女性の依頼を受ける。日本純正というか(「相棒」のスタッフ多し)、ベタではあるのだけど、日本人の根っこを自分でもあらためて認識するような作品。「相棒」の杉下右京は卓越した推理力の持ち主なのだけど、この探偵(名前はない。大泉洋)は頭脳系というキャラではない。彼の相棒兼運転手の高田?(松田龍平)はグータラ風ではあるけど、空手?の名手。行動力先行でボコボコにされがちな探偵を「遅れ気味」で助けにくる。うまくいえないが、この作品の持ち味は「人柄」なのだと思う。その人柄たちを駆け回らせたり、すれちがわさせたりする、北海道という雄大なローケーション。ススキノの雄、霧島社長(西田敏行)の死をめぐり、過去の放火事件にまでさかのぼる。印象的なテーマソングはカルメン・マキさんの時計を止めてジャックスのカヴァー)。霧島夫人を演じた小雪は「ウォンテッド」のアンジェリーナ・ジョリーを彷彿させるすばらしさ。写真だけで登場していない人物がいるので、続編もありそうです!



サウダーヂ 

http://www.saudade-movie.com/

まだまだ公開中です。


コクリコ坂から

http://kokurikozaka.jp/index.html

日本が上を向いていた時代を描いたノスタルジックな作品といえばよいのかもしれないけど、個人的にはそんな風に思えませんでした。複雑な作品だと思います。カルチェラタンという部室のような寮のような場所は、表現の自由の象徴のように楽しく歌い上げられるところ(まるでアイルランド時代のジョン・フォード作品のよう)。しかしその裏側で朝鮮戦争でのLST(戦車揚陸艦)の存在が浮かびあがってくる(宮崎監督の生家は軍事産業に携わられていたという記事を読んだことがある)。気のせいかもしれないけど、そこにかかわる海や俊のモーションはどこかゴーストのように見える部分もあった。宮崎吾朗監督は引いたフレームや俯瞰から眺望に特徴があって、いい意味での不協和音を感じるのがとても好きなのです。学校の理事長のモデルは、故徳間康快さん(徳間書店初代社長)なのではないかと思います。出版社、映画会社、開成高校などを運営され、ジブリの発展にもつくされた方です。

宮崎駿/コクリコ坂から(絵本)

ツリー・オブ・ライフ The Tree of Life

http://disney-studio.jp/movies/tree-life/

カンヌ映画祭パルム・ドール受賞。テレンス・マリック監督は寡作といわれている。「天国の日々」から「シン・レッド・ライン」まで20年。次の「ニュー・ワールド 」まで7年。そして「ツリー・オブ・ライフ」まで6年で、今は2本の次回作がひかえるとなると、次第にスピードをあげているといえるかもしれない。足の裏から大きな樹、星の誕生、恐竜の時代から黄泉(?)の世界へとボーダレスに描き切る力強さと縦横無尽なカメラワーク、父を演じるブラッド・ピットの威圧的な下唇や家に差し込む光の変容、衣擦れの音がするようなスリップドレスなど繊細な質感の描写を併せ持ったクリエッティブ・センスは唯一無二だと思う。そして、その主題は・・・。

話は脱線するけれども、昨年暮れに「みんな我が子」(アーサー・ミラー作)のという舞台を観た。「みんな我が子」は、数年前ケイティ・ホームズ(トム・クルーズの奥さんでしたよね)のブローウェイ舞台デビューがこの作品ぐらいしか知らなかったけど(すみません)、実に辛辣な重要作品だと思う。作品は演じる方も観る方も生半可では太刀打ちできないようなもので、派手なセットや大袈裟な演出はなく、ケラー家の庭を舞台(やはり樹が登場)に夥しい台詞が展開する。この台詞とその掛け合いの「間」にすべてが組み込まれているようなストレート・プレイで、そしてその内容はアメリカのトラディショナルな社会派な題材。第二次世界大戦直後に演じられ、絶賛されたこの舞台は、親子そして良心のあり方に今もなお、様々な方向から迫ってくる。もし「ツリー・オブ・ライフ」を観る前に、この舞台を観ていたらずいぶん違っただろうとちょっと思った。「〜の縮図」という言い回しがよくあるけど、「みんな我が子」のケラー家も、「ツリー・オブ・ライフ」のオブライエン家も、アメリカの縮図でありながら、とんでもないスケールを召還してしまうような作品ではないだろうか。


(順不同)



2011年ベスト・ライブアクト

10組で、日付順となっております。

BLONDE REDHEAD / 4AD evening / Shibuya O-East(1/24)
この日はAriel Pink's Haunted Graffiti、Deerhunter、BLONDE REDHEADの3組。どれもよかったのですが、BLONDE REDHEADはさすがの存在感で、貫禄すら感じました。何気なくさらりとやっているようで、きっとさり気なく構成されているセットなんだろうなと思いました。アートというものが根底にあるのだなあとも感じたり。

Setlist:
Black Guitar 
Here Sometimes 
Dr. Strangeluv 
Spring And By Summer Fall 
Oslo 
Will There Be Stars 
In Particular 
Falling Man 
Not Getting There 
Melody Of Certain Three 
23 
---
Spain 

KAZUさんがキューレートしたベネフィットアルバム。収録曲の多くは未完成 (Work In Progress)。「未完成のものはしばしば多くのエネルギーをもたらすこともあり、やめさえしなければ、時としてすばらしい何かになる可能性は無限」と。
Tracklist:
01. Four Tet  Moma
02. Karin Andersson  No Face
03. Terry Riley  G Song
04. Nosaj Thing  Nightcrawler
05. John Roberts  Berceuse
06. Blonde Redhead  Penny Sparkle [Drew Brown remix] 
07. Pantha du Prince  Bird on a Wire
08. Broadcast  In Here the World Begins
09. Liars  Drip (Blonde Redhead remix) 
10. Deerhunter  Curve
11. Stalactite  Stalagmite
12. John Maus  Castles in the Grave
13. David Sylvian/Ryuichi Sakamoto  Bamboo House
14. Interpol  Song Seven



Daryl Hall & John Oates / Tokyo International Forum A(2/28)
しばらく体調を崩していたというDaryl Hallの歌声は本調子ではないかもしれないけど、すばらしいものでした。アレンジは、冴えてる!とはちょっと言いがたいもので、でもT-Boneの1周忌に開催されたツアーは心の中で思いとかが綯い交ぜになり、先を急がないゆっくりとした展開が、あっていたのかもしれません。

Setlist:
Maneater
Family Man
Out of Touch
Method of Modern Love
Say It Isn't So
It's a Laugh
Las Vegas Turnaround 
She's Gone
Sara Smile
Do What You Want, Be What You Are
I Can't Go for That (No Can Do)
---
Rich Girl
You Make My Dreams
---
Kiss on My List
Private Eyes

グレイテスト・ヒッツ 


Wavves / Shibuya Club Quattro(3/3)
念願のWavves 。Nathan Williams!Jay Reatardをちょっと思い出したり・・・

Setlist:
Idiot 
King of the beach 
Green Eyes 
Friends were gone 
To the Dregs 
No Hope Kids 
Take On the World 
---
Post Acid 

King of the Beach



Todd Rundgren /FRF11 (7/30)
ソフィア・コッポラの「ヴァージン・スーサイズ」で流れてくる曲のナイーブなイメージが強くて、このライブは衝撃的でした。ボーカリストというかパフォーマンサーとしての彼のすばらしさを実感。それにても、I Saw The Lightはやっても、Hello It's Meはやらないのか・・・

Setlist:
Real Man
Love Of The Common Man
Buffalo Grass
Determination
Can We Still Be Friends?
Espresso
Love Is The Answer
It Wouldn’t Have Any Difference
Soul brother
I’m So Proud 〜 Ooh Baby Baby 〜 La La Means I Love You 〜 I Want You
Hawking
I Saw The Light
Drive
Couldn’t I Just Tell You 

Back To The Bars


Wilco / FRF11 (7/31)
構成は前年の来日公演と変わっていないし、エクスペリメンタル的なエッジは前回の方が強いくらいだったかもしれないけど、オルタナカントリーな一面と拮抗の仕方が体感といっていいほど迫ってくるライヴだった。ひょっとしたら、3月のあの日を体験したこちら側の心のあり方が変わったからなのかもしれないけど。キレキレの演奏を連発するNels ClineとやっぱりクラクラするほどかっこいいPat Sansone、そして叩き果せなければ明日がこないといわんばかりのGlenn kotche・・・とメンバーのすばらしさをあげたらきりがありません。

Setlist:
I Might 
Bull Black Nova
Side With the Seeds
I Am Trying to Break Your Heart
One Wing
Ashes of American Flags
War on War
Via Chicago
Impossible Germany
Born Alone
Handshake Drugs
Jesus etc.
Dawned on Me
Shot in the Arm
Heavy Metal Drummer
I’m the Man Who Loves You
Late Greats
Red Eyed and Blue / I Got You (At the End of the Century)
Outtasite (Outta Mind)
I’m a Wheel

Whole Love


Miles Kane / SS11 (8/13)
もっと聴きたかった。どこか早熟というイメージのある彼は、少し年長な雰囲気のバンドメンバー(なんとキーボードとベースはCherry GhostのBen ParsonsとPhil Andersonだったんですね)ととてもあっていました。ギターはEugene McGuinness。そして躍動的なドラムスはJay Sharrock(お父さんはThe La's、Oasis、そしてBeady Eyeのドラマー Chris Sharrock)。彼が目を離せない程かっこいい。The Little Flames→The Rascals→The Last Shadow Puppets→Arctic Monkeysのサポート→ソロと活躍してきた彼はまだ20代半ば。Arctic Monkeysが当初もっていたような、早口でおしゃべりな皮肉っぽさも若さの象徴のようなそんな雰囲気をまだまだもっている彼なのです。

Colour of the Trap


Deerhunter / Ebisu Liquidroom(8/15)
1月の来日もよかったけど、この日は彼らのライブ構成力がぐんと増しているのをありありと感じました。サイケとファンクを自由に行き来するようなすばらしいライブでした。

Setlist:
Desire Lines 
Don't Cry 
Revival 
Earthquake 
Little Kids 
Memory Boy 
Nothing Ever Happened 
Spring Hall Convert 
Green Fuzz 
(The Cramps cover)
--
Helicopter 


Dean Wareham plays Galaxie 500 /  Ebisu Liquidroom(10/6)
感無量。Galaxie 500の空気感、エバーグリーンならぬエバーブルーのような雰囲気は、もはやそのままとしては感じられないのだけど、ディーンはニューヨークシーンのテイストで、ノイズギター、メランコリックな歌声でミニマムに演奏してゆく。懐古趣味は皆無でその潔さがディーンらしい。アンコールで誰かのリクエストに応え「Cheese And Onions 」。「う〜ん(ちょっとつまびきながら)できるかな。う〜ん」とディーン。ドラムのアンソニーが「できるよ。ぼくできるよ!」。この曲ばかりはタイムスリップした感じでした。会場もそれぞれの思いで合唱。Galaxie 500は、20年余り前に日本公演が予定されていて(東京はたしかクワトロ)、解散のため消失したのだけど、「ほんとは20年前にきてたはずだったんだよね〜」とディーンはポツリと語っていました。

Setlist:
Flowers 
Pictures 
Tugboat 
Temperature's Rising 
Snowstorm 
When Will You Come Home 
Decomposing Trees 
Strange 
Summertime 
Don't Let Our Youth Go To Waste 
(The Modern Lovers cover)
Blue Thunder 
Listen, The Snow Is Falling 
(Yoko Ono cover)
Fourth Of July 
--
I'll Keep It With Mine 
(Bob Dylan cover)
Ceremony 
(Joy Division cover)
--
Cheese And Onions 
Plastic Bird 

アンコレクテッド


James Blake / Ebisu Liquidroom(10/12)

Setlist:
Enough Thunder 
Unluck 
Tep and the Logic 
I Never Learnt to Share 
Lindisfarne I 
Lindisfarne II 
To Care (Like You) 
CMYK 
Limit to Your Love 
(Feist cover)
Klavierwerke 
Once We All Agree 
The Wilhelm Scream 
--
Anti-War Dub 
(Digital Mystikz cover)
A Case Of You 
(Joni Mitchell cover)

Enough Thunder Ep

JUGEMテーマ:ROCK 


Favorite Albums : 2011

前半はこちらこちら

Bon Iver / Bon Iver

紅潮する頬色のようなうっすらピンクのシャツに、お茶目なハチマキ。思い出しただけでも胸がじんわりとなる来日公演。グラミーノミニーとなったこのアルバム。それにしても、ジャスティン・ヴァーノンの声は個性的と表現されるようではないけれど、まるで心の泉から発せられてるような、特異な声だなあと思う。

最近レーベルChigliakを設立したようです。


Big Troubles / Romantic Comedy

ニュージャージー出身。Alex CraigとIan Drennanによるノイズでポップなバンド、Big Troubles。プロデュースはMitch Easter。


Bill Ryder-Jones /If...

The Coral脱退後、スコアコンポーザーの活動をつづけてきたビルのソロ。ミニマル=チェンバー・ミュージックの音韻にも一筋縄ではいかないヒネリあり。突如現れるギターの広がりにハッとします。イタロ・カルヴィーノの「冬の夜ひとりの旅人が」の架空の映画化作品の架空のサウンドトラックらしい。


STAYCOOL / 小房間以外的事

台湾のバンドSTAYCOOL



前半のアルバムですが、冬になってよく聴きました。


The Horrors / Skying



Ed Sheeran / +


Alex Turner / Submarine

映画「Submarine」のサウンドトラック。映画についてはこちら
映画をみてから特によく聴いて、ジャケットもよく観たら、曲によってBill Ryder-Jones、 OWEN PALLETTが参加。


Dirty Beaches / Badlands
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Dirty Beachesは、ALEX ZHANG HUNGTAIのソロ・プロジェクト。台湾出身、カナダ在住らしい。音質がどうのとかなど忘れ、そのゴーストのような声色はどっから響き入ってくるのか、まるで違う次元からやってくるかのよう。ライブではシューゲどころか地の果てまで見つめているかのよう。


(順不同)




リアル・スティール Real Steel

「チャンプ」「ロッキー」というボクシングを題材にした名作を布石としながらも、21世紀以降の世界の歪みを色濃く感じさせるこの作品。監督は「ナイト ミュージアム 」シリーズのショーン・レヴィ。主演の父子はヒュー・ジャックマンとダコタ・ゴヨ(「マイティ・ソー」の子ども時代を演じた子ですって!)くん。2020年。より過激な格闘が求められた結果、人間同士のボクシングは禁止され、ロボット格闘技の時代になっている。元ボクサーのチャーリー(ヒュー・ジャックマン)はロボット格闘でドサマワリをしながらなんとか暮らしている。しかし闘いでロボットがおシャカになると、その修理代にも困窮するような状態。ある日元ガールフレンドの訃報とともに一人息子マックス(ダコタ・ゴヨ)の親権の話が持ち上がる。親権はマックスの叔母夫妻に移るが、チャーリーがしばらくマックスを預かることに・・・。このマックス(11歳)が大人顔負けのゲームおたく。父子で試合に臨むもなかなか勝てない。そんな中マックスはスクラップ場で運命のロボットATOMを見つけるのだった。

チャーリーは自己中心でやけっぱちで、臆病で、ダメなお父ちゃん。これがダメであればあるほど、ひしひしと現実の重みが伝わってくる。マックスもちょっとお父ちゃんに似ていて強情で向こう見ずなところはあるが、聡明さと愛情の深さがピカイチ。ヒュー・ジャックマン演じるチャーリーは「X-MEN」のウルヴァリンから繋がる素直になれない男感がリアルで、アメリカンイベントムービーの王道的なストーリー展開を適度に揺さぶる。そんな物語やグレイドアップしてゆく対戦の臨場感を楽しめる作品です。

http://disney-studio.jp/movies/realsteel/







ネタバレというか、勝手で無謀な考察



「リアル・スティール」の製作履歴は意外と長く、2005年にダン・ギルロイが脚本化、その後ジェレミー・レヴィンがあたり、最後にジョン・ゲイティンズ(本編ではキングピンを演じている粋なおにいさん)がリスクリプトし、2008年にドリームワークスがパラマウントから引き継ぎ、やっと2010年に製作されたことになる。原作はリチャード・マシスンの短編「四角い墓場(Steel)」(原作というよりプロットを生かしているというところか。何度も映画化されている「アイ・アム・レジェンド」、「激突! 」、「運命のボタン」もマシスン原作。この短編は「運命のボタン 」に収録)。1960年代「トワイライト・ゾーン」のある1話に「スティール」という作品があり、主役の元ボクサー、スティール・ケリーをリー・マーヴィン(関係ないかもしれないけど、マーヴィンもヒュー・ジャックマンも190cm級)が演じていた。ロボットはMaxoという旧式。対戦当日故障したロボットに代わり、スティール本人がリングに出る(くらいお金が必要だった)というストーリー。元ボクサー、旧式ロボット、そしてお金はこの「リアル・スティール」でも重要なポジションをとっている。

最初のロボットアンブッシュは闘牛戦でバラバラに。そして親権を譲ったお金で購入したノイジー・ボーイ(日本語で極悪男子とかかれている。音声認識装置がついているが日本語でしか動かない)。小さく稼ごうというマックスをおしきって、チャーリーはアングラ対戦で一攫千金を狙うが破れる。ノイジー・ボーイの修理部品を探して向かった廃棄物置き場で、マックスは旧式ロボットを掘り起こす。これがATOM(対戦用でなくスパークリング用でシャドー(模倣)という機能が埋め込まれている。あとで重要な役割を果たす)。公式対戦会場にいっても相手にされず、マックス(チャーリーではなく)は動物園の野外対戦(キングピンのロボットはツギハキでパンクアートっぽい)へ。マックスとチャーリーは試行錯誤しながらもなんとか勝利した。

マックスはATOMノイジー・ボーイの音声認識装置を取りつけ、またファイティングはエンターテイメントだというチャーリーの進言をききオープニングにダンスを取り入れ、そしてチャーリーも真剣にATOMをトレーニングし、迎えたツイン・シティーズ(双頭。ゆえに視界に死角あり)との公式前哨戦にも勝利。対戦を重ねるごとにチャーリーとマックスの関係もみるみる近づいてゆくのだが、チャーリーの懐具合は、過去に踏み倒した興行主が借金を強奪にきたりと不安定なまま。ATOMとともに前進するマックスに対して、チャーリーはどん底から抜けだせないように見えた。

この作品のクライマックス、チャンピオン・ゼウスとの対戦で様々な構図が見えてくる。父子の物語として「チャンプ 」(リメイク版の主演はジョン・ヴォイド。アンジェリーナ・ジョリーのお父さん)を思わせるし、ボクシングとしての展開は「ロッキー 」(ロッキーの相手はアポロだった。ゼウスの息子)。そして最終ラウンドでの殴られつづけながら相手を消耗させ挽回する流れは、キンシャサの奇跡といわれているモハメド・アリ対ジョージ・フォアマンかもしれない。「リアル・スティール」はこういったアメリカの伝説を呼び起こしながらも、その差異で作品の主題をかえって浮き彫りにしているように見える。

ロボットが科学技術の進化の象徴だとすると、ゼウスのような最先端技術と資金を投下したロボット(=スティール)は、設計者がいかに優秀だとしても、いつしか莫大なお金が集まり、そこに癒着するオーナーや賭博システムがぶらさがる。その強さはいつしか脅威になるだろう。そしてゼウスに、旧式で原始的だが情熱をこめてトレーニングされた小型ロボットが互角の対戦をしたということ。ATOMにはマックスの愛情がそそがれており、トレーニングも「ふりうつし」という昔ながらのやり方なのだ。有用性だけを追求したマシーンではなく、「誰かのため」を念じたり、「誰かが教えてくれた」という恩義を感じたり、人間的とか師弟的とか親子的いっていいのかもしれないが、そのようにして作られた強さこそがリアル・スティールなんだと思う。

ロボット(科学技術やメカニックとその支配)が人間の居場所を奪い、人間が苦悩するというテーマ自体は「Steel」と同じで、その時から何十年もたってはいるが、世界的経済危機の今の状況下で、よりリリカルに迫ってくるのではないだろうか。最終ラウンドで、チャーリーは息子の懇願により久しぶりに試合に正面から立ち向かうが、やっとスタートに立ったか立たないかだ。マックスもこの試合が終れば叔母のもとに戻り、まだまだ「チャンプ」や「ロッキー」のハッピーエンドにはほど遠いが、それもまた今の現実という気がする。

見終わってから知ったのだけど、ゼウスの設計者タク・マシドは日本人の天才設計者で、ノイジー・ボーイも彼の初期の作品という設定なのですね。引退後各国を転々とした極悪男子を所有するチャーリーをタク・マシドは最初から気にしていたのかもしれません。そして自由にロボットを設計していたころと違い、資本や権力に雁字搦めになり、勝つことしか求められていない(そうでなければ業界から抹殺される)タク・マシドの苦悩は相当なものだろう。だとすると、真意は全く明らかになっていないのだが、ラストにチャーリーが何かをいいかけて、マックスが「わかっているよ。これはふたりの秘密だよ」と返すところだが、本当にひょっとしたらだが、チャーリーは最終ラウンドのKOパンチを少し手加減したのではないだろうか。KOがすべてというチャーリー自身のファイティングスタイルを曲げてまで。本当の強さとは勝ち負かすことがすべてではないから。そしてひっとして、タク・マシドを四角い墓場から救ったのではないかと思ったりします(人それぞれいろいろな解釈があるでしょう。そのへんは続編に期待)。

チャーリーが年を間違えるほど(単にチャーリーのダメっぷり描写かも)大人びたマックス。よく子ども同士が友達と認めた時に「ふたりだけの秘密」つくるけど、マックスはこの言葉をATOMとチャーリーだけに投げ、子どもの一面をみせると同時に彼の真意を知ることができるのです。

父子という男性ラインが強すぎてあまり触れられないけど、女性の描き方にも好感をもった。チャーリーのトレーナーの娘で、ジムを引き継いだベイリー(エヴァンジェリン・リリー。きっとチャーリーが初恋の人でずっと思いを秘めてるんだろうなあと勝手に想像)。彼女自身も生活に苦しみながらもチャーリーの心のよりどころになっている。またマックスの叔母のデブラ(ホープ・デイヴィス)もマックスを捨てたチャーリーを責める一方の紋切型になっていない。余談ですが、最初の闘牛のところでロボットを撮影にくるかわいい(ちょっと生意気な)三姉妹は監督のお嬢さんたちだそうです。




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